今年の3月末に、3人のこどもたちが一斉に自宅から出ていきました。
長男、次男は就職、長女は大学進学です。24歳、22歳、18歳と歳もあいていたので、まさか、こんな年齢になるまで、上の子2人が学生で自宅にいるとは思ってもいませんでした。
昨年の冬頃、春を迎えるのが待ち遠しいような、迎えたくないような、複雑な気持ちでしたが、同時に「ようやく自立してくれる」というほっとした気持ちでいました。
特に長男、次男は男ですから、中学、高校と大人になるにつれて、母親から離れていきます。
長男は大学2年まで、一度家を離れましたから、3年に自宅に戻っても、自分の生活スタイルを持っていたので、正直、大人がもう一人増えたという感覚です。
次男は自宅からずっと学校に通っていましたが、卒業研究の担当になった教員とうまくいかず、そのうち、学校に通えなくなりました。内定も決まっていたのに、卒業できない。
次男は眠れなくなり、学校のカウンセリングを受け、心療内科を受診することになったのです。私は母の看取りの為、しばらく実家についていたのですが、母が亡くなって、家に帰ってから2カ月余りのことでした。次男は私が母についていたので、相談もできず、悩んでいたんだと思います。
私も自分を責めました。今思えば、学校に通っている様子もなく、次男の様子も少しおかしかった。そのことにどうして気づいてあげられなかったのか。
受診、学校の担任とのやりとり…私は「一緒についていくよ」と次男に話をしましたが、次男から帰ってきた言葉は
「大丈夫。もうこどもじゃないんだから。」
私が思っていた以上に、こどもは大人になっていたんです。
次男は休学しました。内定先の会社にも現状を自分で伝えました。
結局、専攻科は卒業できませんでしたが、退学し、内定していた会社にそのまま就職することができました。次男は精神的にもう自立していたんですね。
そして、一番下の長女ですが、姉妹がいないため、男兄弟とほとんど話すこともなく、私とベッタリの「仲良し親子」。
やはり娘とのコミュニケーションは私の心の癒しでもありました。夫と会話をするより娘の方が話も通じ合えて楽しかったのです。
その娘が、自宅から離れてしまう…そう思うと、正直、自分大丈夫かな?と心配でした。
長女の一人暮らしのアパートの引っ越しを終えて、長女だけをおいてくるとき、あわただしくて、お別れに浸る時間なんてありませんでしたが、娘と別れた後、やはり涙がでました。
自宅からはこどもたちの声も気配も消え、残された部屋には、それぞれ持って行かなかった私物。
仕事から「ただいま」と戻っても誰もいない。しばらく、さみしいというか慣れませんでしたね。自分の親もきっとそうだったんだろうなと親の気持ちがわかりました。
でも、自分が親元を離れたときの頃はどうだったろうか。最初の2~3か月は寂しかったけれど、慣れたら、一人暮らしは自由で楽しかった。離れて暮らす親のことも、忘れて楽しんでいたはずです。
きっと、こどもたちも同じだと思います。
特に娘は、最初の1カ月は毎日のようにLINEでやりとりしてました。大事な連絡もありますが、どうでもいいくだらないことまですぐLINEがきます。ただ、6月頃から、ピタッとLINEのやりとりは減りました。一人暮らしにも慣れて、大学生活も楽しくなってきた頃です。
私も自分からLINEすることは、ぐっと減りました。私も今の生活に慣れたのです。
夫婦2人になって、生活は変わりました。何より、すべてが楽です。食事の用意、買い物、洗濯etc.
「ああ、今まで、こどものために頑張ってきたんだな」「これからは、楽をしよう」
私「卒母」したのかも、そう思いました。
どの時点が卒母というのかはわかりませんが、こどもの巣立ちを通して感じたことは、
親が思っている以上にこどもの精神的自立は早いということと、それを親も認識し、大人として接していくことが親を卒業するということなのだと思います。
なにより、こどもたちがいなくなって、一番大きく変わったのは夫婦関係です。それはまたあらためて書きます。
こどもの精神的成長に気づき、一人の大人として対等に関係を築いていく。それが卒母なのではないでしょうか。
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