新型コロナウイルスの感染状況も落ち着き、旅行を計画されている方も多いのではないでしょうか?
北海道は人気の観光スポットもいっぱい! 自然も良いですが、なんといっても海の幸、ラーメン、スイーツなど食べ物もおいしい物がいっぱい!
そこで、今回は、生まれも育ちも道民の私が、地元民なら知ってて当たり前だけど、道外の人は知らない、「北海道のソウルフード」をご紹介します。
ここではお土産等でよく購入されるようなものではなく、地元で当たり前に食べられているものをご紹介します。
1.ソフトカツゲン
雪印メグミルクさんから販売されてる乳酸菌飲料です。1956年発売なので、道民みんなに親しまれ、誰もがこどもの頃によく飲んでいました。近くの銭湯に行くと、ビンの牛乳と並んで、カツゲンもおいてましたね。いま、ビンは見かけなくなりましたが、牛乳びんよりやや小さめだったと思います。
乳酸菌飲料なので、味はヤクルトやミルミルなどに近いです。
酸味はあまりなく、甘いけどゴクゴク飲めちゃう、美味しいジュースです。道民はジュースと言うより、元気をつける飲み物として親しんでいます。名前が「活・源」ですからね。戦時中の軍人さんたちの為に作られたのがはじまりだそうです。
道内のスーパーやコンビニなら、大体置いてます。
2.リボンナポリン
ポッカサッポロフード&ビバレッジさんから販売されている炭酸飲料です。
1911年から発売されていて、外食に行くと、こどもの飲み物として、置いているお店が多かったです。
きれいなオレンジ色は、パプリカ色素を使用しているからだそうです。ただ、オレンジジュースではないので、オレンジ感は全くありません。フルーティーなサイダーです。ちなみに私はリボンシトロン派です。
3.ガラナ
ガラナ飲料も歴史は古く、1920年代には日本に上陸していたようです。全国で販売されて、人気があったようですが、コーラの登場で売り上げは伸びなくなったそうです。ただ、北海道はコーラ自体の販売が遅く、その間ずっとガラナが人気だったため、北海道では今でもガラナが普通に売っているのです。
見た目は黒くて、コーラとそっくりですが、やや赤茶色で原料はブラジルのガラナという赤い実の植物です。
ちなみに、色々なメーカーからガラナは販売されていますが、味はメーカーによってかなり違いがあります。
ちなみに、私がガラナといえばこれ
「小原商店」のコアップガラナです。優しい味で、とても飲みやすく今でもたまに飲みたくなります。
4.中華まんじゅう
中華まんじゅうって聞くと、「肉まん?」と勘違いされるかも知れません。中華まんじゅうはなんと和菓子です。
どら焼きの皮より、やや固めの薄皮生地の中に、小豆餡がぎっしり詰まった和菓子。
函館を中心に主に道南地方でなじみがあり、大きな三日月型をしているのが特徴です。その大きな見た目からか、葬儀等のお返しに使われていました。「葬式まんじゅう」と呼ばれてました。
最近は中華まんじゅうより、どら焼きが主流になり、中華まんじゅうをもらうと珍しい感じがしますが、私が小さい時は、中華まんじゅう、よくいただきました。
和菓子の世界では、どら焼きの皮のように、小麦粉と砂糖と卵を使ったものを「中花種」とよびます。元々は「中花まんじゅう」だったそうです。
中華まんじゅうの餡は何故かこし餡です。ちなみに1人で1個はとても食べきれません。
老舗の和菓子店に行くと今でも売っています。
5.ビタミンカステーラ
実は、このお菓子どこでも売っていると思っていましたが、北海道なんですね。
大正6年に旭川で創業した高橋製菓の銘菓「ビタミンカステーラ」。
当時の日本は参戦した第1次世界大戦が終結したころで、食べ物が不足し、栄養失調になる子どもも多かったといいます。そんな中で、安くて、栄養価値が高いものとして考えられたのが、この商品だったそうです。
小麦粉の量を増やす一方で、卵も砂糖も減らしたため水分が少なくなり、日持ちがするように作られています。学校給食用に使われていたビタミンB1とB2を入れたのが最大の特徴だそうです。
食べると実際のカステラより、軽くて、さっぱりした味です。
日持ちがするということで、よく仏壇のお供え物として、家庭で見かけます。安くて駄菓子と勘違いをしていましたが、栄養を考えて作られた、歴史のあるお菓子だったのです。
道内のスーパーで売っています。
6.やきそば弁当
道民にとって、カップ焼きそばと言えば「やきそば弁当」です。 中華スープ付きがまたうれしい。
北海道では、その支持率は80%を超えると言われており、道民にとって、カップ焼きそば=やきそば弁当なのです。
「ペヤング」やほかのカップ焼きそばも見かけますが、売り場に山積みにされ場所を陣どってるこの「やきそば弁当」
私自身、他の焼きそばはほとんど口にしません(食べた事はありますが)。
でも、味は他のカップ焼きそばと比較しても、特に大きな違いがあるわけでなく、どうしてなんだろうと調べてみました。
製造販売しているマルちゃんはそもそも、東洋水産=水産業者だったので、古くから北海道に流通網が発達していたからなのだそうです。
ちなみに、CMは北海道出身のタカアンドトシのお2人です。
7.ジンギスカン
北海道のジンギスカン文化について、北大生が調べた情報がありましたので、少し長くなりますが、それを紹介します。
ジンギスカン文化は明治時代の毛織物ブームによってはじまったといってよいでしょう。欧米文化の流入による毛織物の需要増大にともなって、政府は羊毛を国内生産するために“めん羊”の育成に力を注ぎました。北海道の涼しい気候は牧羊に向いていて、さかんに行われていたそうです。
毛を取ったあとの羊に関しては、食べようという声は上がりませんでした。なぜなら、海の幸にも山の幸にも恵まれていた北海道では、わざわざ羊肉を食べる必要がなかったから。臭みがあるという理由で、逆に人々からは敬遠されていたのです。
余っているなら食べようじゃないか!
そんな北海道で、“羊を食べる”という概念が浸透したのは昭和に入ってから。羊毛生産の副産物として余ってしまう羊肉を「どうにかして有効活用できないか」と考えた政府は、補助金を出すなどして羊肉食の普及に努めます。滝川のとある羊牧場は同時期に、札幌のデパートに羊肉を送る、一般家庭向けの羊料理を紹介するなどして宣伝活動に勤しんでいたそう。
多種多様な羊料理が生み出されるなかで、ジンギスカンがとくに有名になった理由は、その“簡便さ”にあります。肉と野菜を切って焼くだけという簡単な調理法や、家族全員がひとつの鍋をつつくスタイルは、家事労働の軽減につながりました。
大家族を養うために、過酷な農作業を強いられた当時の農民の暮らし。それを支えた救世主的な食事が、ジンギスカンだったんですね。“にぎやか、楽しい”といった今日のジンギスカンのイメージとは、また違った側面が見えてきます。
農村発グルメが全道で大流行
めん羊飼羊頭数が急激に増加したことや、農村で栄養改善が行われたこともあり、羊肉の消費は戦後にぐっと拡大します。
1960年代頃から、北海道のめん羊飼養頭数は急激に減少。羊毛の輸入が解禁されたこと、高度経済成長に伴って都市部に人口が流出したことなどが原因とされています。
しかし同時期に、農村地域に浸透したジンギスカンを一部の食堂がメニューに取り入れたことで、都市部でその美味しさが注目されるように。
北海道で飼育されていた残り少ない羊たちは、あっという間に道民の胃袋に入り、最終的には輸入肉に頼らざるをえない状況になりました。あくまで羊毛を手に入れるついでだった羊肉食が、いつのまにか目的となったのです。
【参考】河合知子・久保田のぞみ (1995).「北海道における羊肉消費の展開」『農村生活研究』39(1), 18-24
私が小さいころ、「今日は焼き肉だ!」と言えば、ジンギスカンでした。当時は、「マトン」という冷凍の成羊肉しかスーパーで見かけることがありませんでした。
今は、生のラム肉(仔羊肉)が主流です。味は特にクセもなく、やわらかくて美味しいお肉ですが、ジンギスカンを食べた後は、家の中がラム肉特有の臭いが充満しますので換気した方が良いです。
近年、ラム肉がヘルシーなお肉として注目され、私も最近はジンギスカンを食べる機会が多くなりました。ジンギスカン鍋は一般家庭では使わず、ホットプレートで焼いて食べます。
そして、ジンギスカンのたれと言えばこちらです(なぜか)。
ベル食品の成吉思汗のたれです。古くから変わらないこのビンのデザインは北海道ではおなじみです。
ほんの一部をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
もし、北海道に訪れることがありましたら、探して食べてみてください。
コメント