私の母が末期がんで亡くなって、ちょうど1年が過ぎました。
ちなみに父はすい臓がんで7年前に亡くなっています。2人とも、症状が出て受診した時には末期でした。
がんを患っていなかったら、もう少し2人とも元気で長生きしてただろうと思います。内科的な病気は2人とも無かったし、日頃から食事や運動など、健康づくりには気をつけていた方でした。
同じ末期がんでも、経過は全く違いました。
父は消化器系のがんだったので、そもそも食べられず、どんどん痩せていきました。抗がん剤をする段階でもなかったのに、父は抗がん剤治療を受けたいといいました。
数日で、抗がん剤治療もやめましたが…
父はギリギリまで死を受け入れられず、わからないうちに亡くなりました。受け入れるまでの時間はなかったのだと思います。
母は末期がんでしたが、肺がんだったので、最初の1~2年は抗がん剤や、放射線治療を受けながら、元気でした。
ただ、脳への転移があったため、徐々に視力、平衡感覚が無くなり、一人で歩けなくなりました。同時にもう使える抗がん剤も無くなりました。
母は最期まで生きる希望をもちながらも、自分の死を迎える準備を元気なうちから始めました。
いわゆる、「終活」です。
診断されてすぐに、近所の写真館にいって、葬儀に使う写真を撮りに行きました。痩せて髪が抜けてからでは、困るからと話し、私と兄に写真を渡してくれました。
その後は、家のものをできる範囲で始末し、大切なものがどこにあるのか、私にも書いて渡してくれました。
亡くなったら誰に連絡してほしいなど、
何よりはっきりと希望したことは「延命治療」は望まないということでした。その時は「うん、わかった」と返事はしたものの、この言葉が後々、母を在宅で看取ることに繋がったのです。
2人に1人はがんで亡くなります。
抗がん剤治療も、昔と違い、遺伝子検査をして、効果がある薬を選び、効かなくなってきたら、また別の抗がん剤を使う、そういう時代になったので、末期がんだからといって、すぐ余命何か月なんてことも、少なくなってきました。
薬が効けば、その間、日常生活を維持することができるのです。
母は結局、約3年10か月、がんとともに生きました。本当に寝たきりになったのは、最期の2か月。
2人の親の死を見て、私だったら、母のように心の準備をして、残された家族が困らないようにあの世にいきたいな、理想的な死に方だなと思いますが、こればかりは、そう簡単に自分では選べませんよね。
でも、母が延命治療を望まないと言わなければ1日でも長く生きてほしいと、最期まで、点滴をし、そのせいで身体は浮腫み、治療がかえって苦痛を生むということを知らなかったかも知れません。
母の闘病、実家での介護、在宅の看取りについては、少しずつ綴っていきたいと思います。
親の最期から「終活」の大切さを学ぶ。元気な時間がなければ終活はできないから、大事なことは今からでも考えておこう。そして家族と世間話でもよいから話し、自分の人生の最期をどう迎えたいか伝えていこう。
住み慣れた家で最期を穏やかに迎えたい・・・理想ではありますが、在宅=介護や世話をこどもにしてもらうということではありません。私達の親世代まではそれが当たり前の風潮がありましたが、今は核家族化が進み、そもそも近くにこども家族がいないことの方が当たり前です。
自分の病気、家族との関係、住んでいる街の医療・介護の社会資源等、大きく影響するので、なかなか希望が叶う事はないかもしれませんが、家族が何か決断しなければならなくなった時、できる限り親の意向を尊重してくれるでしょう。
そのためには、家族との良好な関係を築いていくことは大切なことです。
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